こんにちは、ラフと申します!
今回は、人に優しくされるよりも人に優しくする方が記憶に残っているのでは?とふと思ったので、私のエピソードも含めて書いていこうと思います。
皆さんは、人に優しくされた体験と、人に優しくした体験。どちらが印象深く記憶に残っていますか?
それでは、はじめていきましょう!!
スマホを落とした青年
私が大阪で一人暮らしをしていた時のある休日のことです。
「一人カラオケに行こう」と思いたち、新大阪のあるカラオケ屋さんへ歩いて向かっている途中でした。
横断歩道で信号待ちをしていて、信号が青になったのを確認して渡り始めた時のことです。
その時、
前から来た自転車の青年がジーンズの後ろポケットに入れていたスマホを私の目の前で落として、気づかずに通り過ぎたのです。
それは横断歩道の上で尚且つ車道上です。
そのままでは車に引かれて粉々になってしまいます。
とっさに私はそのスマホを拾い上げ、その青年が自転車で走って行った方向へ走り出しました。
「おにーさん!!」と叫びながら無我夢中で走りました。しかし自転車の方が速度が断然速いです。離れていく一方です。
そこへ、後ろから自転車に乗った別の男性が私が叫んでいるのに気がつき、「あのお兄さんですか?」と声をかけてくれました。
私は「はい」と言うと、その男性はすぐさま自転車でその青年に追いつき、呼び止めてくれました。
それを確認した私は、ほっとしながらも走ってその青年のそばへ行きました。
そして、両手で「はい!」とその青年が落としたスマホを差し出しました。息をはぁはぁ言わせながら。
______このエピソードは3年ほど前のことです。
ですが、今でもふとした瞬間に思い出す時があります。
何故だかわかりませんが、私の中でとても印象に残っている出来事なのです。
人は人に優しくした時の方が記憶する
この他の経験からも言えますが、
「人に優しくされた時よりも人に優しくした時の方が印象に残っている」のではないでしょうか?
皆さんも自分の経験で思い当たることはないでしょうか?
スマホを落とした青年のエピソードは今でも鮮明に記憶しています。
「私がもしそのスマホを拾わなかったらその青年は困るだろうな」とか「買ったばかりのスマホなのかもしれない」(見た目が綺麗だったので)とか「友達や大事な人と会う約束をこれからしているかもしれない」とか。
短い間でしたが色々と考えていました。
そしてもし「スマホを落としたのが自分だったら」「見つからなかったらとてつも無く悲しい」と思いました。
その青年のことを色々考えながら、とにかく走りました。
私が走って駆け寄りスマホを渡した時、その青年はとにかく喜んでいました。その青年がどんな表情をしていてどんな言葉を私にかけてくれたのかは全く覚えていません。
その時の私は無事にスマホを渡せたという安堵感で気持ちがいっぱいでした。
人に優しくすると自分も嬉しい
人は、人に優しくされることも嬉しいですが人に優しくすること、感謝されることの方が嬉しく印象に残るのではないでしょうか?
私自身この体験をしたことが、とても印象的で嬉しく思ったからです。
人にプレゼントをあげる。喜んでもらうことをする。誰かのために役に立てる。
人から何かされるよりも、
人のために何かできることに人は喜びを感じるのかもしれません。
自分のことばかり考えて、常にメリットとデメリットを天秤にかけてしまいがちですが、
人のために一生懸命何かできることが見つかれば、それがあなたの「生きがい」になるのかもしれませんね。
以上、ラフでした。